GO WOMEN 名古屋に咲いたランナーの華
震災からちょうど一年目の2012年3月11日。第一回目の名古屋ウィメンズマラソンが開催された。
ロンドンの代表選考の最終レースとなる重要な大会であると共に、この大会は、世界で一番多くの女性が集まってフルマラソンを走った大会となった。
スタートした人数は1万3114人。完走率は97%だったとか。
42キロ先のゴールを目指す女性はみんな頑張っていたと思う。ほとんどが自分の意志で申し込み、強い意志で完走を目指したはず。
みんなが輝いていた。
イケメンがティファニーのペンダントを渡してくれるからという理由ではなくて(笑)、私がこの大会を走りたいと思ったのは、走り始めたころ(35年ほど前)は、フルマラソンだけでなく女性が走るという事がまだまだものめずらしかった時代から、大規模都市フルマラソンで女性だけが42キロ先を目指す時代に変わるその日に自分がその場にいたかったから。
できれば、ぱっとしないここのところのレースを払拭すべく良いタイムで走りたかったけれど、本番前の数ヶ月の練習具合を振り返ってもせいぜい良くて4時間程度でしか走れないと自分でわかっていた。
だからといって逃げることなく自分らしく笑顔で42キロを駆け抜けたいと思っていた。
当日は、青空に恵まれたマラソン日和。スタートラインに立った多くの女性を祝福してくれるような天気だった。
私のレース内容は、ひどいもので、またしても内蔵をやられて10キロすぎから胃の中の水分も空っぽにするまで吐きながらのふらふらRUN。そのせいか20キロ過ぎで転倒のおまけまで。
公式トイレ、コンビニ各社(7&11、サンクス、ローソン)、ガソリンスタンド(コスモ石油)のお世話になりつつ、ゴールを目指した。
30キロ過ぎの私設エイドのオレンジに猛烈に助けられて、そこから先は急激に元気が出て、35キロの壁もなく、コース図を見ると後半ずいぶん上りがあるのに、それも全く意識しなかった。それまでのボーっとした低血糖のような状態から急に目が覚めた感じ。
frunの東海の応援隊や、北海道からのgenさんやふれっぷさん、あんさんご夫妻の応援もうれしくかった。タイムは、ワーストから数えたほうが早いくらいのものだったけれど、完走のペンダントはしっかりいただいて、満足だった。
スタート直後、横を走っていた女性が「見て、こんなにたくさんの女がフルマラソンを走ってるんだよ。すごいよ!」と言っていた。
私も同感。
印象的だったのは、だらだら歩いている人がほとんどいなかった。みんなゴールを目指して一生懸命走ってた。ティファニーに惹かれてフルマラソン走ろってみようかなって軽い気持ちで申し込んだ人も、ちゃんと練習してこの大会に臨んだはず。
新しい時代が来たんだなって感じた。
ゴール後ドームの観客席にいた父親と男の子二人。小学生と幼稚園くらいの男の子は、次々ゴールするランナーたちをずっと見ていた。そして父親から「お母さん、ゴールしたぞ。わかるか?」と聞かれ大きくうなずいた。お母さんも遠くの子供たちを見つけて大きく手を振った。「お母さん、頑張ったね。カッコイイね」と子供たちに声をかけると、キラキラ輝いた瞳を私に向けて、うれしそうな笑顔を見せてくれた。
この家族のような物語がこの日走った女たちそれぞれにあるんだろうなとしみじみ思った。
そして、2時46分。ドーム内で黙祷をしながら、震災で亡くなった方たちを思った。その中にも多くの女性ランナーがいて、マラソンの練習をしていたんだろうなあ。こうやってここに集まって走れる幸せをかみしめた。
ティファニーのペンダントには、“GO WOMEN”の刻印が入っている。
女性ランナーのみなさん、これからも止まらずに走り続けましょう。
走ることで、何かが変わるかもしれない。
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